日本マッチの創始者 清水誠先生

こんにちは、金沢座 座長のすみたです。

卯辰山を散策していたところ、花菖蒲園の近くに、マッチの創始者の方の碑を見つけました。

「燐寸の祖 清水誠先生」と書かれています。燐寸とはマッチのことです。

マッチの創始者ってすごいなと思い、清水先生のことを調べてみました。


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清水誠氏は、1845年に、金沢で藩士の子として誕生されました。

1870年に、フランスの理工系学校の名門エコール・サントラル・パリに留学をし、そのときに、日本がマッチまで輸入に頼っていることを知り、マッチ製造を志しました。

燐寸の祖ということですが、厳密に言うと、「日本マッチ産業」の創始者ということです。

清水先生は、1876年に、日本初のマッチ製造会社「新燐社」を設立し、翌年にはマッチの輸出を開始します。このマッチは日本にとって重要な輸出品となりました。ですが、日本製マッチの輸出増加に伴い、粗悪品も増えてしまい、そのあおりを受けて、1888年に新燐社は倒産してしまいます。

清水先生ご自身は、日本マッチの創始者でありながらも、天文学や造船業などにも精通し、偉大な科学者として活躍をされ続けました。

1899年、54歳のときに肺炎で他界します。

ちなみに、なぜ、卯辰山に清水先生の碑があるのかはわかりませんでした。ただ卯辰山にはこういった歴史を知ることができる碑ががあるので、金沢の歴史を感じたい方には卯辰山散策は楽しいものだと思います。

金沢の歴史を感じてください。
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