和菓子屋からパティシエに転身!辻口博啓さんってどんな人?

和菓子屋からパティシエに転身!辻口博啓さんってどんな人?

こんにちは、金沢座です。

2017年、グリコの人気商品であるポッキーやカプリコなどのお菓子を監修し、注目を集めている辻口博啓さん。石川県出身である彼が日本を代表するパティシエに登りつめるまでには、どんな試練や出来事があったのでしょうか。

12店舗ものスイーツ店を経営する“辻口博啓”という人物にせまりたいと思います。

パティシエに導いた背景にあったのは苦しい過去

辻口さんがパティシエを目指し始めたのは、高校を卒業した後のことでした。本来、パティシエを目指す順序として、高校卒業後は技術が学べる専門学校への進学を考えますが、彼の場合、進学を選択することは難しいものだったのです。

家業の倒産、父親の失踪

辻口さんがパティシエを夢見るようになったのは、小学三年生のころだったといいます。しかし、彼の実家は和菓子屋を営んでいました。ただ、家業を継ぐかどうか悩むまでもなく、辻口さんの父親が経営していた和菓子屋は倒産してしまいます。

しかもその原因となったのは、経営状況の悪化などではなく、借金の保証人となっていたことだったのです。自分が保証人になったことで倒産にまで追い込むことになり、罪悪感に苛まれた辻口さんの父親はその後失踪し、18歳の少年はたった一人でパティシエの世界へと飛び込むことになります。

自らお金を稼ぎ、生きていくしかない状況だったとはいえ、高校を卒業したばかりの少年が上京し夢を追うには、あまりにも過酷な心境だったことでしょう。

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数々の賞を受賞するまでの苦悩とは?

パティシエの世界に飛び込んだものの、初めは望んでいた仕事とは異なり、下積み時代が長く続いたといいます。ただ、辻口博啓というパティシエが誕生するためには、その下積み時代こそもっとも重要で、一番大切なことを学べた時間だったのだとか。

そんな辻口さんがコンクールに挑戦したのは、彼が23歳のころでした。1990年に開催された全国洋菓子技術コンクールにおいて、史上最年少といわれる年齢で優勝を果たし、一躍注目のパティシエとなるものの、そこに待ち受けていたのは厳しい試練でした。

実力を認めてもらえない日々

技術を競うコンクールで最年少優勝を果たしたにもかかわらず、その実力が認められるまでには時間を要しました。その理由は、最年少というあまりにも若い年齢です。

「誰かの真似」
「本人のアイディアではない」

そんな厳しい言葉を投げかけられたそうです。しかし、そんな言葉にはめげることもなく、“一度のまぐれといわれるのなら、何度も結果を出してみせる”と、その強い気持ちが折れることはなかったのです。

その後辻口さんが受賞したコンクールは数え切れません。

・1992年 全国洋菓子コンクール 優勝
・1993年 東日本洋菓子コンクール 優勝
・1994年 シャルル・プルーストコンクール 銀賞
・1995年 フランスインターナショナル杯 優勝

国内だけでなく、フランスでのコンクールにて優勝を果たした時、やっと彼の実力は認められたのです。

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辻口博啓のスイーツが愛される理由

現在ではケーキ屋さんだけでなく、シリアルを扱うスイーツ店やショコラティエ、ロールケーキ専門店にカフェやベーカリー店など、幅広い分野のスイーツ店をもつ辻口博啓さん。彼のスイーツがここまで愛される理由には、どんな秘密があるのでしょうか。

“なぜ?”を突き詰める熱意

辻口さんは、ケーキを焼く温度、下準備に時間をかける意味、フレッシュな食材を使う理由、すべての疑問に立ち向かってきたのです。時には常識を覆すことも必要で、決められたことを決められたままやるのではなく、一度決められたこととは異なる方法を試し、“なぜその温度なのか”を形や味で理解するまで、突き詰めることをやめませんでした。

だからこそ、人を感動させるスイーツを作り出すことができたのでしょう。疑問をうやむやにしないこと、徹底的な研究のもと彼のスイーツは作られていることがわかりますね。

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和菓子屋「和楽紅屋」に込められた想い

過去、辻口さんが上京するきっかけともなった家業の倒産で、父親の消息はつかめないままとなっていましたが、世界一のパティシエとして認められたころ、親子は再会を果たします。

そしてその後辻口さんは、父親が築いてきた和菓子屋「紅屋」をもう一度復活させたのです。和菓子と洋菓子、同じお菓子とはいえまったく異なる分野においての挑戦は、容易なものではなかったでしょう。しかし、和菓子とともに日本の文化に触れながら育ってきた辻口さんだからこそ、その誇りを大切にしたいという想いがあったのだと思います。

これほどまでに親孝行できる人がいるのかと、感銘を受けますね。生まれ変わった紅屋は、和ラスクにカステラなど、パティシエの技術が生かされた商品がたくさん販売されています。今では都内に5店舗をかまえる人気和菓子店となり、幅広い年齢層から愛される和菓子屋となりました。

現在では、故郷石川県にカフェが併設された美術館もオープンしており、地元を愛する気持ちがとても伝わってきます。どんな試練にも立ち向かう心、強い精神力、あきらめず突き詰める熱意のもと生み出されたスイーツは、食べる人の心にひびく。そんなスイーツであることでしょう。

辻口博啓 official web

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金沢座

こんにちは、すみた夫婦です。慣れ親しんだ東京を離れて、2016年11月に金沢に戻ってきました。古き良き金沢のことを、もっともっと知っていただくために、夫婦でいろんなところに遊びに行って、ご紹介していこうと思います。