金沢三文豪の一人 徳田秋声とは?作品の魅力と意外な一面

座長座長

こんにちは、金沢座 座長のスミタです。

2005年に開設された“徳田秋声記念館”。石川県にお住まいの方ならご存知かと思いますが、徳田秋声が生まれた金沢市横山町の近くに建てられました。他にも数々の有名な文豪を生み出している石川県には、こういった記念館が多くあり、文学の世界に触れることのできる場所として親しまれています。

そんな中で、なぜか最も地味で知名度が低いといわれている徳田秋声。しかし、彼の魅力を唯一理解していたとされるのは、近現代の日本文学において頂点に立っていた作家“川端康成”でした。そんな人物をうならせた徳田秋声の作品の魅力や、私生活からみる意外な一面についてご紹介していきましょう。

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小説家になるまでの生い立ち

徳田秋声が生まれたのは1872年のことでした。父は加賀藩の家老、横山隆平氏の家臣であった人物で、徳田秋声の母親は3番目の妻だったといわれています。しかし、彼がこの世に生れ落ちる前、彼は農家の子供になる約束をされていたというのです。

顔ひとつで人生を変える

父親である雲平さんは、まだ徳田秋声がお腹の中にいる頃から、知り合いである農家の者に子を引き渡すという約束をしていたそうです。現代では考えられませんが、もしそのまま徳田秋声が農家の子として育っていたなら、その人生は大きく変わっていたかもしれませんね。

そんな約束のことなど知らずに無事生まれてきた徳田秋声は、その顔ひとつで父親の考えを変えてしまったのです。現在残っているそのお顔を見ると、少し面長な輪郭に優し気な目元が印象的です。

孤独の中で見つけた小説の世界

病弱だったことから、幼いころは常に孤独と隣り合わせであったと語っている徳田秋声。そんな彼の人生を大きく変えたのが中学生のころに出会った小説でした。読書に対する情熱はとても強く、英語や漢文といった学業においても素晴らしい成績を残しながら、小説家を目指すようになります。

徳田秋声作品のあらすじ

徳田秋声の作品の中でご紹介したいのは、“黴(かび)”と“あらくれ”です。黴においては、徳田秋声の私生活を客観的にみることができます。私小説としては最初の作品とされていますが、この作品によって大きな成功をおさめることになるのです。

黴のあらすじ

主人公は作家の笹村という男。彼が徳田秋声自身ということになるでしょう。そしてその傍にいるのがお銀という女。徳田秋声は1902年頃に小沢はまという女性と恋人関係になり、2年後には入籍しています。

そんな二人のずるずると生活していく様が描かれ、決して望んでいたはずでもないのに、関係を解消することもできず、そのまま二人は子を授かることになります。

そんな中、彼の師である人物(尾崎紅葉氏)の死に直面し、物語は進んでいきます。泉鏡花さんの師でもある尾崎紅葉さんがどんな風にその最期を迎えたのか。なぜか淡々と語られるその時の風景や感情に惹きこまれていくような作品です。

あらくれのあらすじ

あらくれにも、どこか徳田秋声の生きてきた空気感があらわれているように感じます。主人公となるお島は母に愛されず、養子に出されてしまいます。裕福な両親のもと育てられますが、お島にとっては他人そのもの。自分の居場所だと感じることはなかったでしょう。

それからしばらく経ち、年頃になった彼女に待ち受けていたのは好ましくない男との結婚だったのです。逃げ出すもそう簡単に逃れられるわけではなく、その後もたくさんの試練に直面することになります。

一見、主人公の女性を憐れみ、同情してしまうような悲しい話なのかと思うのですが、お島という女性はそこまで美化されて描かれているわけではありません。感じることといえば、物語の主人公としての女ではなく、あくまで普通の、どうしようもない一面ももった生身の女性なのです。

>>徳田秋声の作品一覧

私生活で話題となった愛人の存在

黴の中でも描かれていたように、徳田秋声には妻がいました。その妻を基にした小説も描かれているのですが、その関係は実際のところどうだったのかと、疑問に感じる記述があります。

実は、徳田秋声には愛人がいたというのです。その存在が明るみになり、話題となったのは、妻であるはまが急死したためでした。愛人との関係を赤裸々に語った短編群は大きな話題となり、いつしか非難の声が集まるようになります。

黴では、いつの間にか生活を共にし、いつの間にか結婚し子が生まれ、その重荷から逃げたいと語っていた徳田秋声の本当の心は、どこにあったのでしょうか。妻の死後は愛人と正式に結婚することまで考えていたそうですが、その想いが実ることはなく、愛人は別の男のもとへと去っていくのでした。しかしなぜかまた、愛人ともずるずると関係は続いていくようになるのです。

作家仲間に愛された人物

作品を読んでも、つかみどころがないと評するのが正しいような気がします。けれど、徳田秋声に魅了された作家は多く、のちに低迷期といわれる時期を迎える頃に、彼の人望の厚さを痛感します。

室生犀星率いる数人により結成された秋声会は、作家として落ちていく徳田秋声の後援会として彼を盛り立てていくのです。その甲斐あってか、翌年には川端康成が賞賛する作品を発表し、華麗な復活を遂げたのです。

徳田秋声という作家に影響を受けた小説家も多く、川端康成ですら、彼の作品を批評するすべがないと言い表すほどです。石川県は小説家の宝庫だったのか、その秘密はどこに隠れているのか、金沢の街を歩く時は、思いはせながら歩いてみたいものですね。

座長座長

以上、石川県出身の有名人シリーズでした!