【DMM.COM創設者】石川県出身の亀山敬司さんの仕事論とは

こんにちは、金沢座です。

亀山敬司さんという名前を聞いて、ピンとくる方はどのくらいいるでしょうか。しかし、DMM.COMという会社をご存知の方は驚くほど多くいらっしゃると思います。その会社を生み出した人こそ、亀山敬司さんなのです。メディア露出がなく、顔出しもされていないことから、その人物の名前だけでは知らない方も多いかもしれませんね。

テレビCMでもおなじみのDMM.COMを作り出した亀山敬司さんとは、どういった人物なのでしょうか。年間売上額1700億円という大企業に成長させたコツなど、亀山敬司さんという人物についてご紹介していきましょう。

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亀山敬司さんの育った町

亀山敬司さんが育ったのは、石川県の加賀市です。温泉地に恵まれたことから、観光客が多く訪れることでも有名ですね。治部煮や海鮮料理、ラーメンも評判の町です。そんな町で育った亀山さんのご実家も、さまざまな分野で事業を展開されています。

亀山敬司さんの才能は親譲り?

地元加賀では、飲食店や海の家だけでなく、カメラ屋さんを営むなど、幅広い事業展開を行う商家に生まれた亀山さん。現在の彼の原点は、実家にあるのかもしれませんね。

地元の高校を卒業した後は税理士を目指し上京しますが、情熱を注げず、早々に税理士の道を目指すことをやめてしまったのだとか。自分には何ができるのか、何が向いているのか、自分という人を見つめ判断する力は、この頃から備わっていたのでしょう。

亀山敬司さんのエネルギー源とは?

現在55歳という年齢を迎えた亀山敬司さん。社名こそ違うものの、のちにDMM.COMとなるデジタルメディアマートを創業したのは1999年のことです。ここまで彼を登りつめさせた原動力とは一体何だったのでしょうか。

違う風景が見たいという好奇心

税理士を諦めた亀山さんは、アクセサリーなどを露店にて販売している露天商に目を付け、師事するようになります。そんな時、東京の町で高くそびえたつ数々のビルを路上から見上げた風景と、そのビルの中から見下ろした風景には、どんな違いがあるのだろうと好奇心を抱いたのだとか。上からの景色と下からの景色、そんな観点から生まれた好奇心だけで今も走り続けているのかもしれませんね。

その後彼は東京から離れることになりますが、この帰郷こそ、今のDMMホールディングスを作り出すきっかけとなるビデオ業界への一歩となったのです。

亀山敬司さんの事業展開から見るビジネスのコツ

レンタルビデオ業界の大手といえばTSUTAYAやゲオなどが思い浮かびますね。亀山さんが地元へ帰郷後開業したビデオ屋も、のちのゲオとなるビデオシティの進出により、危ぶまれることになります。

しかし、そこはさすがというべきか、フランチャイズになることを自らゲオに提案し、独立性は保ちながらも傘下になることを決断するのです。

世界一を獲りたいなら小さな世界を見るべし

レンタルビデオ屋を一括りで考えると、大手企業にはどうやっても敵わないものがあります。そこで彼が選択したのがアダルトビデオに力を入れるということでした。ある特殊な小さい分野にのみ力を入れるという選択こそ、世界一を獲るコツだといいます。

大手だからこそ手を出さない分野、事業こそが、のちに世界一を目指せるものになる可能性があるのだとか。もちろん、その隙間を探し当てる才能、判断力、観察力が必要でしょう。そこからの快進撃はすさまじく、ネット配信やビデオ制作まで手掛け、どんどん事業は拡大していくことになります。

事業を拡大することによる楽しみとは?

事業が拡大することによって、当然収入は増えることになりますし、会社も成長していくでしょう。社長という立場になる人にとって、頭をひねらせ、知恵を生み出し、事業展開していくことの楽しみとはどのようなものなのか、気になりますね。

DMMホールディングスの現会長であり、生みの親である亀山敬司さんの楽しみは、人に会うことなのだとか。

私たちは実に小さい世界で生きているということに、突然気づかされることがあります。地元を離れることなく、世界を旅することなく暮らしていれば、その世界にいる人とだけしか関わることはできないでしょう。例えばどこかの国の人と会ってみたいと思っても、行動できる人はどのくらいいるでしょうか。

亀山さんは、会いたいと思える人に会うために必要なのは、自分自身が力を蓄えることだけだと話しています。あの会社の社長に会ってみたい!そう思っても、一般人が興味本位だけで会うことは叶いません。それなら自分の会社を成功させ、結果を出せばいい。そう考えたのだそうです。

この発想力、行動力こそ、ひとつの事業を成功させるためには必要なことなのかもしれませんね。

これからの若い世代に伝えたいこと

彼自身が人と会うこと、人に興味を抱くことが事業展開の楽しみとしていたように、たくさんの国を旅してみてほしいと訴えています。

自ら経験し、見る、感じる、出会う、それらで得ることこそが、本当の強さや人のやさしさであったりするのではないかと。この言葉を聞くと、いかに狭い世界でものを判断してきたのかと、気づかされる人も多いのではないでしょうか。

今は彼自身、若い世代に考えさせ、やりたいという事をやらせてみるということにも楽しさを感じているそうです。若い世代だからこそ思いつくこと、できること、自分とは違う時代を生きてきた若者だからこそ閃くアイディア、そのすべてを、これからも彼のやり方で世に生み出してくれることでしょう。その中の一人になれるよう、常に好奇心を抱いていたいものですね。


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